コロナショックによる自粛が解除されました。

いつのまにか、もう6月ですね。この2ヶ月間、何をやっていたのか思い出せません。

まもなく、私も仕事が自粛期間前の体制に戻ります。

「日立」のように変えられるような会社、職種でもありませんので、仕事は何も変わりません。

それでも、この2ヶ月近い自宅待機、テレワーク期間中に、気がついたこと、考えたこと、憂慮したことが幾つかありました。

日頃、時間に追われていたこと
自分の将来を見据えて
家族への意識
コロナウィルスで亡くなった方への想い
自分の死生観
夜の仕事、サービス業に携わる方の気持ち

そんなところでしょうか。

社会へ出て働き出してから、今まで何も考えず仕事に突っ走ってきましたが、この2ヶ月間で少しだけ立ち止まることができました。

日常、時間に追われて、いかに余裕がなかったか。

テレワーク、リモート勤務は、これからの時代当たり前ですね。仕事なんて自分のスタイルで自由にできるのが1番だと思います。

他にも、会社にはこんな取り組みをしてほしいと切に思いました。

3年に1度は、従業員に1ヶ月休暇を与える

10年に1度は、従業員に半年間の大型連休を与える

休暇の間、仕事を溜めて逆にストレスを溜めないように、休暇の後はジョブチェンジを好きにできる

そうでもしなければ、いつまでたっても「まだ東京で消耗してるの?」状態から抜け出せません。

自分がどんな状態であくせく走り回っているか気づきもしません。

私はと言えば、この間、会社に出たのは週2日くらいでした。

そして、ただ会社に行けないだけではなく、自宅からも出られない状況に追い込まれたわけです。

少しだけ、自分のキャリアを見直すきっかけと心の準備ができた時間でした。

やっぱり早く会社員は辞めたい、あと5年もしくは10年で退職しよう。

家族との向き合い方への意識が少し変わりました。

まず、妻。

「コロナ離婚」なる言葉は、よくわかる気がしました。

日頃、夜まで仕事して、帰って風呂に入り夕飯を食べて、少しだけ仕事の愚痴を言い合って、『じゃおやすみ!』で、日曜日になると「ちょっと新しくできたレストラン行こうよ」、「おいしいね」で、なんだか楽しかった気がして、また次の日仕事。

仕事に追われ、自分のやりたいことにも追われ、妻に話しかけられても半分は上の空。

家の中でも、5分、10分の空き時間でさえ、パソコン開いてキーボードたたき出す始末。

今までは、そんな毎日でした。

今回、朝から晩まで外出もできず、ずっと一緒にいて、お互い気の詰まる思いをしたことも何度かありました。

お互いの価値観に久しぶりに向き合った気がしました。

子供の存在がコミュニケーションになっていることに甘えていたなとも気づかされました。

妻と会話をすること、妻を思いやること、これから老後に向けて一つ一つ大事にしなければいけない。

結婚当初は意識もせずにできていた当たり前のことが、少しだけ思い起こされました。

そして子供。

「父親らしいことをしてあげなきゃ」、「休みはどこかに連れて行ってあげよう」と意識して企画し、車に乗せてあげたり、電車に乗ったり、ちょっとなぞっただけで、はい、明日から仕事。こんな繰り返しでした。

もちろん、それも楽しいことですけど。

平日でも毎日朝から晩まで子供と一緒に過ごすようになって。

子供が学校に行けない代わりに、僕が体育を見ようと、家の近くで縄跳びをやったり、鉄棒をやったり、かけっこやって、ボールの取り方を教えて、毎日毎日、自宅の周辺で同じ事やって、最初は「こんな時間もったいないなあ」と、頭の中から焦燥感が消えなかったのですが、

そんな日常に慣れてきた頃に、自分の子供時代を思い出してきました。

私が子供だった頃、流行のスポットもおいしいお店もありませんでした。いや、あっても両親が連れて行ってくれなかったのかも。

毎日毎日飽きずに、友達と空き地や道ばたで、電信柱や金網を使って、野球とサッカーをするのが至極の一時でした。

そうやって僕は、当たり前のように野球選手やサッカー選手と同じように見よう見まねで体のバネを養い、友達同士でボールを投げ合っても「負ける物か」と気後れすることなく、競争したり協力し合ったりしながら、義務教育の期間を走り抜けてきたのです。

「ボールを3回連続で落とさなかったらクリア!」

「今日は縄跳び30回、明日は35回!明後日は、、、」

「あの電柱と電柱の間がゴールで、5点先取ゲーム!」

気がついたら、しゃれたスポットなんて無い、自分の子供時代と同じ、遊ぶのは、路地裏のちょっとした空間でお金をかけない遊びに子供と熱中していました。

私たち家族だけでなく、昔よく見た風景が、そこにはありました。

コロナの前は、意識して時間を作り、何か楽しいことをしなきゃと「考えて」きました。

でも、この1ヶ月、来る日も来る日も、自宅の周りで、子供と汗をかいて同じ事を繰り返しました。

考えても外出できないわけですから、狭い行動範囲の中で、同じことを繰り返すしかありません。

いつのまにか子供は、ボールを投げる姿、縄跳びをする姿に自信が出て、元気いっぱい、自ら進んで外で遊ぶようになりました。

私も縄跳びが100回できるようになり、夢中で息子にサッカーやドッジボールを教えるようになっていました。

何かをする、どこかへ行く、特別な時間より、家族で自宅や自宅周辺で、コミュニケーションを密にとりながら、かけがえのない時間を過ごしていることに気がつきました。

どうせ会社に行けない、遠出もできない、環境がそうさせたのです。

このブログに関連することといえば。

マンションについての考えも少し変化がありました。

今後、テレワークが増えることで、マンションも大型住戸が流行りそうと言われています。

僕はどうかと言えば、より都会へ都会へ向いていた気持ちが少し薄くなりました。

一度きりの人生、時間に追われることがない環境で家族で過ごすことが、これほど贅沢なことだったんだと、少しだけですが思えるようになりました。

自宅待機が始まって、住宅ローンが払えなくなるのではと不安になった時もありました。今でも事態は好転してはいませんが。

コロナウィルスの犠牲になられた方と自分の死生観。

以前の日常を取り戻しつつある社会ですが、著名人はじめ多くの方が亡くなられました。

運悪く犠牲になられたこと。

この2ヶ月間なんだったんだろう。

それまでは皆で楽しく生きていたのに、まさかの事態が起きてしまい、通り魔に遭ってしまったような。

本当に残念でなりません。

私は子供の頃から気管支が弱く、幾度と喘息になり、体調を壊すと苦しくて苦しくて朝まで寝られないつらい経験をしたことが何度もありました。もし肺炎になったら、年齢に関係なく自分は犠牲になってしまうんだろうなと、死を意識した時間でもありました。

苦しいのは何日間だけだろう。

そんなことを話したら妻に怒られました。

たまたま、感染を免れましたが、自分が犠牲になってもおかしくなかった。

人はあっけなく死んでしまうんですね。

自分が特別な存在のように生きてきたけど、自分の命もそんなちっぽけなものでしかなく、大きな世界、長い歴史からしたら、小さな命が誕生して早かれ遅かれ息絶えた、ただそれだけのことにすぎない。

この嵐のような一瞬のうちに犠牲になってしまった方は、なんと運が悪かったことか。残念でなりません。

犠牲になられた方へは、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

休業を余儀なくされた、サービス業、夜の仕事の方々

『夜の街のクラスター』扱いされ、今どんな気持ちでしょうか。

その都度、『死ねってことかよ?!』と絶望に追い込まれたことでしょう。

自分の能力や才能、体、喋り一貫で築いてきたものが、いま、努力もできない無念な状況を考えると、本当に辛い気持ちです。

私も、仕事の稼働率が50%以下になり、今後もコロナ前100%は見込めません。将来的な雇用や報酬がどうなるかわからない状況で、身の振り方を少なからず考えています。

これからどうなるんだろう。

この2ヶ月間で、少しだけ意識が変わったこと、考えたこと。

飾らずに言えば、そんなところでしょうか。

街には少しずつ日常が戻ってきました。

2020年5月30日

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